にわかともうそうとくだらないハナシ。
ユーロとかがあって、しばらくなにも書かない日々が続くと、自家中毒が胸の中で煮立つワケじゃないですか?
オレの書く文章のハジマリはいつもこんな感じで嫌になる。
サッカーは、面白いなぁ、と思うワケですよ。
思いを巡らせれば、それは個人の能力と人間関係とコネとエゴの織りなすパッチワークなわけなのです。
服すら満足に着れないオバカさん準決勝で2得点の大活躍。
バロテッリwwwwwww
笑っちゃう。
笑った?
けれど、この選手は親に捨てられてもここまで登りつめた努力家で、いじめられっ子のファンのために学校に乗り込んで説教してしまう純粋な男。
とんでもーね暴れん坊で、問題を起こしてばっかり、揉めちゃクビの繰り返し。
Cassano, Raging Bull
バカみたいだ。
バカみたいでしょ?
でも、去年は心臓病で死ぬかもしれないを乗り越えてきた選手なんだよ。
そんなのが、決勝に進出するイタリアのツートップなわけなのですよ。
人生があり、人間がいて、そんなものは関係なく勝敗は決まるが、人間関係は試合として現れる。
ドラマとドキュメンタリーとコントとバラエティが織りなす90分。
サッカーとはそんなものだと思いながらいつも見てます。
大抵は退屈な一生懸命な汗と涙と義務感の結晶なのですけれども。
たまにある奇跡。
Liverpool vs AC Milan Champions League Final 2005
あとマンUのCL決勝のやつとか。いい動画がみつからない。
はーロマンティック。
今田はナウロマンチックイェスゲッツナウロマンチック。
何考えてたんだ、テイトワワ。
思ったんのは、アレなんだ。
オシムが今野をセンターバックにコンバートしたり。
グラディオラがフィールドの11人は全員ミッドフィルダーが理想的といってみたり。
デボルスケがゼロトップを模索したりしてみるじゃない。
プレッシングサッカーの普及から選手のアスリート化が大前提にされ、ファンタジスタ不要説が唱えられ。
それでもセンターバックとフォワードは「絶対に競り合う局面が必要だから」という専門性が求められてきたこれまで。
ただ、それはやっぱり局面で、90分の中で割り振ってみれば、5分にも満たない時間。
しかし、サッカーは30秒で全てが決まる。
だから、必要、専門家必要、フォワードやら専門家が必要だぜってハナシ。
ただ、合理性を突き詰めれば、いらねーんだよね。
夢や思い込みを捨てれば、すぐにわかる。
ロマンティズムを捨て切れない、けれど確率と統計で全てを表現できる野球はドカベンタイプを早々に淘汰した事実。
リアリティに溢れ、けれどマネーボール理論には程遠いサッカーがそこを今更後追いするのは随分おもしろい考察だと。
けれど、もう、得点感覚に優れたフォワードやら、空中戦に強いスィーパーは生き残れないんだなぁ。
よくわかんねぇけど、たぶん。
イブラヒモビッチみたいな「下手な中ではすごくうまい選手」(クライフ談)以外はきっと。
おそらく、今後その特殊性はサイドに求められるんだろうなぁ、と思ったり。
ある程度の中盤での組立能力さえあれば、サイドはどうあってもいい。
そこが今後のフットボールのそれぞれの監督のアクセントになるのではなかろうか。
クライフの時代から、センターラインは結構自由だったんだ。
ライカールトがワントップになってみたり、クーマンがトップ下に入ってみたりさ。
バリバリのウィングだったアンリがセンターフォワードで大活躍してみたり。
あんなに背の低いメッシのワントップだってありえるワケ。
そんで、翻して、サイドの窮屈なこと。
運動量と、守備と献身とフォローの前提。
けどさ、サイドとかウィングハーフってノンプレッシャーで攻撃の起点になれた歴史があるじゃない。
ロベカルしかり、トルシエ時代の左ウィングハーフの小野やら中村しかり、ベイルしかり、アビダルしかり。
アビダルは違うな、アビダルは関係ない。内田はちょっと関係ある。
アイツはなんなんだ。アイツは絶対いつか痛い目を見るぞ。
何が言いたいかっつーと、サイドって面白いよね。
センターラインも面白いし。
サッカーが、面白いという話を、酔っ払いながらも、いつも考えております。
もう眠いので、ユーロの決勝は見ませんけれども。