岡田監督考

ダメな監督だと思っていた。
ダメな監督だと思っている。
それはずっと変わらない。
オレの好き嫌いの問題かもしれないし、わりと明白な能力の欠如なのかもしれない。
いや、監督の評価など、結果から算定するしかないのだから、「良い監督」以外の呼び方なんてないのかも。


ロジカル、フィジカル、パーソナル。
そこを重視する、極めて現実的な監督。


ロジカル、確かに理論的なのかもしれない。
ただ、単純がすぎる。
「現代サッカーの得点の大半はセットプレーとカウンター」
なるほど、ごもっとも。
ただ、モウリーニョベンゲルオシムの本物の理論的な監督にはその先がある。
セットプレーを取るには、ドリブラーが要るし、そのフォローをする守備的選手が・・・。
サッカーは連綿と連なる動的な問題。
my''+cy'+ky=0的な。
岡田監督の論理的とは、静的な問題。
y=x+a みたいな。
そこがダメかというと、この場合はy=x+1でこっちはy=x+2と、簡単な方程式をたくさんつみあげた方が選手の理解が早いとも思う。


フィジカル、走れない戦えない選手は使わない。
これは、フランス予選のころからずっとそう。
中田とかのチームの核にすら、練習でもファイトを求めた。
選手は大変だろうけれど、大前提なものだからここは特に何もない。


パーソナル、これが問題。
あまりに多くを選手に求めすぎ、逆に求めなすぎて切って捨てる。
自分の哲学、方針にそぐわない選手は実力があったり、戦術的に最適でも選考しない。
独裁的、とまでの硬直化したものではないけれど、そこはとても狭い世界。
自分の好みにあったプレーをする選手でも、性格が合わないと使わないというのは。
カズが外れ、前田が外れ、石川が外れ、最後に中村が外された。
結果、選手層が薄くなり、交代のカードが少なくなる。
なにより、外れた選手が復活できるチャンスが、もうないのだ。
性格的な選考をクリアしたプレーヤーで可能な戦術を選ぶのは、ちょっと悲しくないのか。
必要悪としての、ファンタジスタやエクストラキッカーの存在も認めないのは、硬直してる気がする。
けど、その狭い世界は今大会の原動力となった強いチームワークを生み出せる。
限定された材料で、柔軟に変化させられる能力もあるしなぁ。


監督の評価など、結果から算定するしかないのだから、良い監督以外の呼び方なんてない。


でも、例えば、オシムだったら、どうだったろうか。
オシムでグループリーグ敗退だったら、どうだったろうか。
わからないけど、ここまで熱くはなれなかった。
それでも、見たいとは思うけれど、どうだったろうか。


結局、ブラジルでない限り、結果以外に意味がないのだろう。


うつくしいか、みにくいか。
おもしろいか、おもしろくないか。
それもある。


ただ、なぁ。
4年に一度の爆発的な喜びを得られる変わりに、あの閉塞感。
実力がある選手が選ばれない選手選考や、固まらない戦術。


全ては、ワールドカップのために?


それでいいのだろうか。
それでいいのだろうなぁ。
だって、そうなのだから。


納得できないことが、ひとつ。
長谷部、本田ですら日本のこと、日本サッカーのことを語れたのに、岡田監督は語れなかった。
それどころではない、心の整理がついていないと言って。
マスコミのプレッシャーや、群集心理の暴力を味わいつくした人ならではの、防衛本能とか意地や反抗の発露。
よくインタビューで、オレが日本サッカーを背負う必要がない、目の前のことをやるだけとか言ってるもの。
それでも、夢とか理想とかを言っちゃえばいいのに。
言えないのが、この現実主義者の限界か。
司令官というよりは、参謀なのだな。
まー優秀な参謀がいりゃ戦争は勝てるんだから、別に問題はないよなぁ。


あー。
結局、あんま好きじゃないってことだけだな。


あと、本田さんが大変だろうなぁ。
自分のやりたいものと、クラブが求めるものと、代表で求められるものが全然ちがうものなぁ。
トップ下でやりたいだろう。
しかし、なまじ守備ができて体も強いので、クラブのチーム事情によってはボランチとかに配置され。
この大会のインパクトと、「決定力不足」のお題目がある代表からはトップ的な役割を求められ。
それでも、やれるか。
やれるんだろうなぁ。
最高のシューターとして、とてもステキだと思っていたこの選手は、実際はあんまりシュートを打たなかった。
それでも、ありえないトラップからのボールキープと圧倒的なフィジカルを見せてくれた。
あんなことが、できるなんて。
もっと、できるようになるだろう。


足が、もっと早くなれば、きっとトップレベルなのになぁ。
だから、きっと早くなれ。


あと、中村憲剛は、すごく、エライと思いました。