■8 April 1993 CENSOR WHITE FUNK BANDS, Richey

僕達はこれまで常に自分達が受けた影響を超越できるような作品を創ろうと努力してきた。同時に僕らはプレスと同じくらい偽善的でもある。でも僕らの音楽だけは真実だ。多くの人間は未だにロックについての古臭い理念を持ち続けているけど。有機性なんかクソ食らえ!セックス・ピストルズジーン・ヴィンセントを聴くのにヘロイン漬けじゃないと解らないなんて法がどこにある?スティーヴィー・ワンダーを理解するのに盲目じゃないとダメだなんて法がどこにある?虚構と偽善のR&R。誰も政治や人生一般に対し完璧さなんか期待しやしない。なのに何故、一介のロック・バンドにそれを期待する?僕達は最高の作品を創る為に自分自身に対し決死のプレッシャーをかけた。僕らの1stアルバムを最高の作品にしたかったが為に「これこそが最初で最後のアルバムなんだ」と自分達に言いきかせてもきた。どんなバンドであろうと創造性が枯渇した時にはいさぎよく朽ち果てるべきだと思ってるから。僕らのこれまでの発言からじゃなく、今書いてきたような視点から審判を下して欲しい。(この世においての)誠実さなんかとっくの昔に腐敗し、変質してしまってる。僕らは決して両親達が望むような子供にはなれないし、20世紀の苦痛全てが、誰かに強制されたものだと言っても決して過言じゃない。音楽ジャーナリズムは当人の創る音楽よりも、その人間の発言のほうを重要なものにしてしまう。ルールは常に勝者によって口述され、メディアは常に敗北者の名前を除去したがる。君の要求が少なければ少ないほど君自身が黙殺されるんだ。かつて僕ら以外のどのバンドが2ndアルバムを作る事を糾弾された?誰もバンドの創る音楽や歌詞そのものに対し、興味なんか示さない。バンドをファッション・アクセサリーみたく扱わないでくれ。僕らを皮ズボンや、僕自身の馬鹿げたコンプレックスなんかで判断しないでくれ。科学そのものだって、馬鹿げてる。解りきった事を勿体ぶって証明しなければならず、そのあげく阿呆らしい結論を容認しなきゃならない。誰の意見だってその人間がかつて読んだ文章からの自己編集ヴァージョンさ。政治家達は嘘を売る。そんな事は誰でも知ってる。どんな宣伝だって偽のイメージを売ってるんだ。なのに何故バンドをやってるような男4人に雪のような純粋さを期待する?こういう点さえ認めてるからこそ「僕らはもっとも正直なバンドだ」と言ってきた。ライヴ・エイドの偽善性を見たかい?ポップ・スター達がさもアフリカの難民を心配してるふりをしながら、その裏では高級ブティックやナイト・クラブへ通い、10代の女の子の裸体からコカインを吸ってたのを。R&Rは決して満たされない愛の賠償みたいなもの。誰も愛せる人間なんか居ないから、その愛を自分自身に向けるんだ。 "個性"という言葉の幻想−個人の思想を表現する権利はその本人が独自の思想を持ち得た場合のみ意味を成す。キリスト教の教義は"死"そのものを非現実的なものに変えてしまった。人はそれが全く無意味である事が解ってても人生計画を立て、毎日を生き長らえていこうとする。これがヘタに知性を得た事の報酬さ。どの学校でも要求されるのは従順さと円満さだけ。刑罰と買収。何故、男どもは女性への憎悪を認めないんだろう?性愛は嘘を言う。が、ポルノグラフィーは真実を映し出す。誰もが民主主義の報いには密かな不満を抱いてる筈なのに−ファシズムは政治的な問題じゃない。人間の脳に巣食う精神的な問題だ。誰の心にも潜む自由への抑圧意識みたいなもの。誰かに命令されたがる人間の服従願望みたいなもの。皆がそれを望んでるからといって僕らは解散するべきなんだろうか?それともあくまでも自分達の意志に従うべきなんだろうか?理想主義や栄誉。全ての純粋な思想が自分への小さな嘘から始まっていく。太宰の恋愛関係は常に正直だったか?全てに満ち足りた人間が他人を愛したりできるだろうか?ロック評論家達は思慮の足りない若者達を虚構のポップ・コンベアー・ベルトで骨抜きにする。頭が悪くて内気な奴ほどそういうシステムに馴れやすいんだ。僕は支配者的な人間を憎悪する。ジッドは言った。ジーンズのコマーシャルを見れば自分の性欲も満足するし、君のポケットから10ポンド札がはみ出してたらそれは「盗んでくれ」と言ってるようなものさ、と。それがどう考えても罪である事にさえ気付かないまま・・・。人間性は常に君を落胆させる。愛は残骸を残し、憎悪は不変性を残す。そして僕は今もそのほこりにまみれたままでいる。